東寺南大門(京都南区)2024.1.9 A4 24-3
六大新報社(京都市南区) 2023.7.24 A4 23-26
東寺東大門(不開門あかずのもん)(京都市南区)2023.4.25 A4 23-14
長谷川家住宅(京都市南区)2022.4.29 A4 22-26
東寺五重塔と八島殿(京都市南区) 2021.5.9 A4 21-47
東寺よりももっと前からあった神社だそうです。
DX東寺(京都市南区) 2021.5.6 270×380 21-46
大腸ポリープ切除後の結果説明を聞きにTM病院へ行く途中にこの看板が目に入った。
九条通に面する南大門は教王護国寺(東寺)
の正門で、数ある東寺の門の中で最も大きく、
幅18メートル余、高さ13メートル余である。
何時もと違うアングルで描いた。
1/21は初弘法がある。
スケッチポイントを決めるのは、亡くなっ
た岸本さんの描かれたポイントを描くこと
に決めていたが、今後は、京都の縦横の通
りを歩きポイント探しすることにした。
手始めにTM病院へ行った帰りに縦の「猪熊
通り」を北上し、JRと交差する所にある真
言宗専門誌を発行している創刊明治23年創
業の新聞社のビル。右にJRが走っている。
」
東寺の不開門(あかずのもん)は長く工事中であったが、先日通りかかった時には
綺麗な門になっていた。建武3年(1336)6/30、新田義貞が決死の覚悟で東寺の
足利尊氏を攻め、危機に陥った尊氏は門を閉めて、危うく難を逃れたことから故事に
より、「不開門」とも呼ばれている。先日青空に幾つもの飛行機雲を見たので描いてみた。
長谷川家住宅の創建は、1742年(寛保2年)とか。長谷川家は、江戸時代、庭田家の家来で、
明治維新後も庄屋として村長なども務め、高瀬川を利用して、庭田家など御所に居をもつ貴族たちに年貢を納めていた。
幕末には、長州藩士の京都進攻にそなえ、伏見から京都へ入ろうとすると,鴨川にかかる勧進橋が入口になるため
その警備にあたった会津藩士が宿泊し、勧進橋付近で長州藩士らと戦火をまじえた。
第11代の長谷川良雄は、京都高等工芸学校(現 京都工芸繊維大学の前身)の先生を慕って絵画・図学の教育を受けて、
水彩画を描いており、この建物「歴史・文化・交流の家」に展示されている。
その存在は昔から知っていたが、場所は知らなかった。
これは描いておかないと思いカメラを撮るべく店前に行くと男性が受付台に立っていたので、
客かと思われ目線があったが、気付かれないようカシャ。
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